復興小学校研究会

知りたい項目をクリックしてください。

  • 震災復興小学校を知っていますか

     

    関東大震災の後、復興の願いをこめて当時の最先端の建築技術を駆使して建てられた

    小学校群のことを、震災復興小学校と呼んでいます。

     

    帝都復興事業では、政治家・後藤新平の立案により、区画整理、幹線道路・橋梁・公園の建設、同潤会による集合住宅建設など、東京の骨格を形成するいくつもの事業がなされましたが、小学校建設もその一つでした。

    東京市は、焼失した117の市立小学校を1931(昭和6)年までに全て鉄筋コンクリート造りで再建し竣工させています。焼失区域は東京都心部の下町が中心で、現在の千代田区、中央区、台東区、墨田区、江東区、それに港区と文京区の一部でした。短期間のうちに都心部に数多くたてられたこれらの小学校は、復興事業を象徴する建築群でした。

    これら復興小学校は、耐震性、耐火性、避難しやすさ、衛生の重視、校舎が校庭を囲う配置形式などが共通しています。復興小学校は「設計規格」にそって建設されたため、似通っている点が多いのです。復興小学校をいくつか見ていくと、必ず同じような部分を発見することが出来ます。かといって全く同じではなく、その敷地面積や立地に合わせて固有の特徴もあり、またデザインにも技師の個性が現れています。

     

     

  • 関東大震災の被害

     

    関東大震災では、10万を越える人々が犠牲となりました。これは平成23(2011)年の東日本大震災における犠牲者15,883人を大きく越える数です。これほど犠牲者が出た原因はなんだったのでしょう?

     

    1923(大正12)年、9月1日午後11時58分に起きた関東大震災。マグニチュードM=7.9で震源地は相模湾沖でした。お昼時だったこともあり、東京市内では実に134か所から出火しました。火はまたたく間に燃え広がり、東京の中心部・下町エリアを焼き尽くし、多くの人がこの火災の犠牲となりました。

    震災で犠牲になった児童も約5,000人に上りましたが、震災のあった日は始業式で、学校ではなく家庭で被災したケースがほとんどでした。都内では市立小学校196校のうち、117校が焼失しました。全半壊・焼失住家は37万2000棟にのぼり、木造は当然のことながら、煉瓦造や石造、土蔵の建築も火災には耐えられず、大きな被害を受けました。そんな中、鉄筋コンクリート造の評価が上がったのは自然の成り行きともいえます。

     

  • 新しい小学校

     

    震災を教訓に、焼けない・壊れない・避難しやすい小学校を再建する計画が進みます。しかし新しいのはこれだけではありません。設計技師の考えた「子供の王国」とは?

    当時の東京市建築局長であった佐野利器(としかた)が復興小学校の建設事業のリーダーとなりました。彼の提唱した小学校の理想は、学校建築そのものが子どもたちの教育に役立ち、また地域に学校を開放することで、衛生観念や最新の技術を地域の人々にも浸透させ得るようなものであるべきというものでした。

    そのもとで働いた建築技師・古茂田(こもだ)甲午郎は、未熟な子どもたちが社会に出る最初の場としての小学校の存在に注目し、彼らを庇護しつつ、その可能性を存分に伸ばすことの出来る場である必要があると感じました。そこで佐野利器の理想にこれらの理想もあわせた「子供の王国」を作ろうとしました。

    具体的には、実学や科学など新教育のための特別室の設置(理科教室、手工教室など)、水洗トイレや暖房器具(当時は最先端でした)、シャワー室、大きな窓の設置(児童の健康への配慮)などのほか、災害時の避難のために廊下や階段は広く、コの字やL字などで校庭を囲むような設計で、室内に日光を取り込むと同時に子どもたちを見守りやすくするなどの工夫もなされました。

     

  • 現存する復興小学校

     

    多くの復興小学校が姿を消す中、まだ現役の小学校として活躍中の復興小学校もあります。

    2013年現在、現存するものは15校です。

    千代田区立九段小学校、中央区立常盤小学校、中央区立坂本小学校

    中央区立泰明小学校、中央区立城東小学校、台東区立黒門小学校、台東区立東浅草小学校
    以上の7校が現役の小学校として使われています。

     

    また、転用されている復興小学校もあります。

    十思スクエアとなった旧十思尋常小学校、水天宮ピットとなった旧箱崎尋常小学校、

    京華スクエアとなった旧京華尋常小学校、台東デザイナーズビレッジとなった小島尋常小学校
    以上の4校が現在別の目的で使われている復興小学校です。

     

    そして、これからどうなるのかわかっていない復興小学校もあります。

    旧都立港工業高校(旧愛宕高等小学校)、旧文京区立元町小学校(旧元町尋常小学校)

    旧台東区立下谷小学校(旧下谷尋常小学校)、

    リセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京柳北校(旧柳北尋常小学校)
    この4校は、廃校になったり転用の期間が切れたりしたあと、どうなるのか決まっていません。

    これからの活用が望まれます。

     

    建てられた117校のうち残るは15校。多いと思いますか、少ないと思いますか?

    いずれにせよ、復興小学校は建築群としての特徴があるので

    決して一校だけ残せばいいというものではないのはおわかりになるでしょう。

     

当サイト上の文章と写真の著作権は全て復興小学校研究会に帰属します(引用を明記したものを除く)。他サイトや論文等に使用する場合はご一報の上、引用を明記して下さい。