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ご署名頂いた方々の激励、ご賛同の声をご紹介します。
山口県 A様
私の住む下関市には、明石小学校とほぼ同じ時期に作られ、同じように分離派建築の影響を受けた近代建築の建物があります。
大正13年竣工のこの建物は、旧逓信省の電話局として建てられ、その後、下関市役所第一別館として使用されておりましたが、今からおよそ10年ほど前、老朽化のため崩壊の危険があるから、という理由で、市議会で解体が決定し、駐車場になることになりました。
それを知った市議会議員さんや建築専門家の方々、一般市民も含めた様々な方々によって保存を要望する声があがりました。私も当時は大阪に住んでいましたが、ささやかながらも保存要望の運動を片隅でお手伝いしていました。  

解体予算まで決定してしまった以上、一時は保存は絶望的かと思っていましたが、下関市民だけではなく全国の方々の応援もあり、解体決定時の「記録のみの保存」から、「部分的な保存」へ、さらに「全面保存した後に改修、活用」ということになり、無事改修を終えて、今年、2月13日に田中絹代ぶんか館へと生まれ変わりました。

 保存要望の運動中は、一般市民の方からも「壊れそうで危険ではないか」「あんな古い建物に価値はない」などのさまざまな意見を聞きましたが、改修された建物は、誰にも納得できるシンプルな直線と曲線の美しい、新しいランドマークへと変わり、訪れる多くの人が「すばらしい建物が壊されずに残って良かった」と言ってくださいました。  

確かに古い建物は、一見不具合に思える点もあるかもしれません。でも、訪れる人が「昔、私はここにいたんだよ」と語る時の懐かしげなまなざしを見るだけでも、壊されずに残ってくれてよかったと本当に思います。古い建物は、その空間も含めてさまざまな人の思い出も残しているのだと思います。  
明石小学校の写真をネットで拝見しましたが、曲線と直線のやわらかいバランスがとても美しく、このような小学校で育つ子たちはとても幸せだと思うのです。ぜひ、この幸せな空間で、これからもたくさんの子供たちの思い出ができるようにと願っています。

管理人のコメント
解体予算決定後の逆転劇!すごいですね。そのままの保存ではなく、改修して美しく再生したというのもとても素晴らしいです。これからも、下関のランドマークとして、市民に愛されていくことでしょう。
Iさま、貴重な体験談をありがとうございました!

東京都 S様
昨年の春、仕事でヴォーリズが設計した建築を見て歩く機会を得ました
ゆかりの方々にもお話をうかがったのですが、
時を経た、優れた学び舎というものが、教育にとって
いかに大切なものであるかを、愛情深く語る言葉に胸を打たれました
便利か不便かという視点だけではない価値感をもつことが、
どれだけ子供たちのその後の人生を助け、豊かにしてくれるかということについて、
思いをはせ、語りあう、よい機会になるといいですね
そして校舎が残ってくれることを非力ながら応援したいです

管理人のコメント
私も教育にとって、新しい建物のほうが良いのかというのはあまり分からないです。
確かに設備は新しいほうが良いかもしれないのですが、それは改修でクリアできる問題ですよね。それよりも、優れた設計やデザインで子どもたちに与えられるものは、プライスレスな気がします。今、同じクオリティの建物を建てられるのか…と考えたら尚更です。応援ありがとうございます。

静岡県 フォトグラファーnoBu様
 耐震強度も問題無いのに、まして全国的に見て子供たちが減る傾向にあるにもかかわらず、あれだけ素晴らしい建物をわざわざ壊してまで建て替えるというのは、エコの観点からも歴史文化を伝承する観点からも子供たちへの教育の観点からもおかしいと思います。
 大人になってみると母校とか学び舎というのはひじょうに懐かしくそして温かいものです。 僕が通った小学校も校舎はそのまま残っていますが、昭和33年に建造された講堂が解体され普通の体育館になってしまいました。 この講堂は昭和33年の伊豆の狩野川台風のときに遺体安置所として使われた経緯があり、子供の頃はちょっと怖いようなイメージでしたが、そこから命の大切さや自然災害の恐ろしさ、また、狩野川台風によって決壊した狩野川の堤防は戦前から改修工事治水事業が行われていたにもかかわらず、戦争によって工事が中断しそのまま完成しなかったために堤防決壊をまねいたと教わりました。つまりその講堂は戦争を知らない僕たちにも戦争の悲惨さや爪痕を教え残す生き証人でもあったわけです。
 デザイン的にも大きくアーチを描いた屋根など最近の四角四面の体育館とは趣きを異にしています。 また、体育館立て替えのときに校庭にあったメタセコイアの大木も一緒に切り倒してしまったのが残念でなりません。 ひじょうに背の高い立派な大木で、空高く真っ直ぐスッと伸びて立つ様は子供の成長の理想像のようでもありました。 物を大切にする心、人を思いやる心。そういう教育をすべき小学校こそ明石小学校のような素晴らしい建造物で育むべきだと思います。 ぜひ保存できるように頑張ってください。

管理人のコメント
淡路大震災で半壊した校舎で、震災の恐ろしさを風化させないために遺しているという学校もあるそうです。(中央区の湊小。実は明石小の学区内にも中央区湊という地名があるのですがすごい偶然です。)目に見えないものを伝えて行くのは難しいことです。見える形で遺せれば、と私も願っています。ありがとうございます。

東京都 F様
 明石小と同期の九段小学校(大正15)の同窓会のHPには 戦争直後の校舎の様子や詳しい説明がのっています。
 早稲田小学校(昭和3)のHPには、校舎自慢が写真つきで あります。
 阪本小(昭和3)のHPには、竣工当時の写真乾板による鮮明 な写真が掲載されています。
 名化小(昭和5)のHPでは、「本校の校舎のような大人になって欲しい。」 との校長の挨拶がのっています。
 黒門小(昭和5)のHPにも「伝統的な古い校舎を磨き上げて使っている。」 という校長の挨拶がのっています。
 卒業生はじめ、校舎を愛する人々の多い明石小も、上記と同様に かけがえのない存在で、保存活用ができないはずはないと思います。 ぜひ頑張ってください。

管理人のコメント
ありがとうございます。多くの学校の卒業生や学校関係者の方が、自分たちの校舎に誇りを持っていて、素晴らしいですね。伝統がある校舎というのは、数年では作れないのですから、新しい校舎よりもレアな気がするのですが…。統廃合などを恐れるあまり、安易に新しい学校を建てようとするのは、10年後にはかえって逆効果になりそうに思います。