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明石小学校と私たちについて
はじめまして、明石小学校の保存を望む会の中村です。
 明石小学校第77回卒業生です。
1歳のころ
明石町に引っ越してきて、
現在まで転々としつつもずっと中央区におります。
…にもかかわらず母校が、
「耐震性能に問題ないのに建て替える」
と知ったのは2009年の初冬のことでした…

きっと私のように、知れば「残してほしい」という声が上がるはず。
無くなってからでは遅い!
との思いから、地域の住民の方々、興味を寄せてくださった建築家の方々、同窓生たち、そして少しづつ増えていく賛同者の皆さんに助けてもらいながら、より多くの皆さんに知ってもらうべく、今日も元気に活動しています。よろしくお願いします!

詳しい活動内容もどうぞご覧ください!
明石小学校について

明石小学校は、震災復興小学校です。


震災復興小学校。あまり聞き覚えのない言葉と思います。
復興小学校とは、関東大震災で倒壊・焼失した小学校を建て直す際に
復興事業の一環として建築した、鉄筋コンクリート造りの校舎のことです。
関東大震災で罹災した小学校の数、117校。
罹災した小学校数を見れば、震災がどれだけすさまじかったか想像がつきます。
しかしその数年後には、こうして「壊れない校舎を建てよう」と立ち上がってくれた先人たちの不屈の精神には感謝の言葉もないくらいです。

さて、その壊れない校舎・災害に強い校舎というのも、計画段階できちんと数字で細かく指示されています。
復興小学校はみんな、この規格に沿って建設されました。
災害面でいえば、廊下や階段の幅と配置。
三分以内で全校生徒が避難できるように計算されています。

そして、最も特筆すべき点は、80年経った今でも耐震性能が充分あるということです。
(これは、区のホームページにも書かれています)
当時のコンクリートの質の良さ、仕事の丁寧さ、何を取っても今の建築に劣ることはないという証明です。






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  災害面だけではありません。
明石小学校の内部の写真をご覧になって、どんな印象をお持ちになりましたか?
私は、改めて写真で見ると、「窓が大きいなぁ」と思いました。
廊下や水飲み場の窓も大きくて高くて、とても明るい印象です。

教室の窓の大きさにも規定があって、「教室の床面積の5分の1、また窓の上端は取れるだけ天井に近く」という規定があったようです。
これは言うまでもなく、採光、そして換気のための規定です。
現代では照明器具や窓のない換気システムもありますが、よりエコで健康的なのは、やはりこのようなスタイルでしょう。

復興小学校は、安全面のみならず、このように機能面での水準も高かったようです。
なにより素敵なのは、これらはすべて子どもたちのために、子どもたちの立場に立って考えられているということ。
学校は、児童たちの学ぶ場です。何が子どもたちにとって最も必要なのか、しっかり考えられた設計は、現代の小学校建築の水準から見ても、高いものと思われます。

設備面は、日々便利になっています。児童のために、それらをリノベーションによって取り入れていけば、過去・現代の技術の融合で、より児童たちにとって安全で健康的、そして機能的な学校に生まれ変わることができます。
 建て替えは、本当に必要ですか?

明石小学校がいかに堅牢で、かつ、安全性、機能性を計算した設計であるかお分かりいただけましたでしょうか。「不便だから、壊す」というのは乱暴ではないでしょうか。ゼロか、100かしかないのでしょうか?
リノベーションという言葉も、それほどよく聞く言葉ではありませんが、昨今注目されているのでご存じの方もいらっしゃると思います。
古い建物は、不便です。でも、古い建物は、味があります。また、価値あるものも多いです。
そこで、古い建物の良いところと、新しく便利な機能を合体させましょう、というイメージです。
外見は古い建物ですが、中ではコンピューターが使え、エレベーターがあったり、自動ドアがあるとか、建物によって違いますが、こうした内部の改装が主となります。
昔のアニメなんかで、遺跡の中に最新の科学基地があったりしますよね。あそこまで極端ではありませんが、内部設備を近代化させるという意味では、似たようなものです。カッコいいですよね!
加えて、エコでもありますし(解体するとたくさんゴミが出ます)80余年という歴史的価値ある建物ををわざわざ壊さなくてもよくなります。
 最後に、卒業生として…

小学生時代、誰も教えてくれなかったことですが、この活動を通じ、こんなにも先人たちの思いやりあふれる設計で守られていたと知りました。ちょっと悔しく思いました。なぜ、今まで知らなかったのだろうと。
私の母校は誇れる小学校です。先人たちが必死で私たちを守ろうと建ててくれた校舎です。

今でも遠方に住む卒業生たちが、この校舎を訪ねたとき「まだあった!」と安堵します。
戦争中、疎開していた小学生も、同じようにこの校舎の前に立ち、「まだあった」と思ったでしょう。
大人になり、つらい思いをした時、くじけそうな時にこの場所が残っていることは、私たち卒業生にとってどれだけ安心することか知れません。今の子どもたちも、きっと私たちと同じように、ここに戻ってきたくなる時がくると思います。その時、この場所に違う建物が建っていたら…私なら二度と母校を訪れようとは思わないでしょう。
学校とは面白いところです。通っている時には、ありがたさも愛着も感じませんが、卒業した後に必要になるのですから。
このような卒業生の思いは、ノスタルジーでしかないかもしれませんが、時にこうしたノスタルジーも、豊かに生きていく上で必要だと思います。

明石小学校と私たちについて