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イベント参加レポート

 
港区立高輪台小学校 見学会に行ってきました!

知り合いの建築学の先生からの誘いで、港区立高輪台小学校の見学会に行ってまいりました。
高輪台小学校は高台にあって、結構な坂道を登っていきます。これは登校する子どもたちも大変だなぁ!

住宅地の中に突如現れる白い校舎。


校庭から校舎を臨む

これが北原白秋の校歌の歌詞にもある「白き姿」ですね。
ちなみに作曲は山田耕筰!「この道」「待ちぼうけ」「赤とんぼ」の作曲家です。超メジャーなゴールデンコンビの校歌、すごいです。
それは置いておいて、本当に白いです。白さが、「白」でした。

いざ校舎内に入ると、これはもう、新しい学校といわれたら「ああそう」と信じて疑わないと思いました。ここまで新しくなったら、逆にちょっと寂しいという意見もあるかも?
とはいえ私は「新しい学校」というものを見たのが初めてに近かったので大興奮でした。
「うわー!いまどきの学校って!」みたいな。

音楽室を見せていただいたら、放送室と隣接していて、その間がガラス張りです。えー!まるでDJ!カッコいい!ちなみに音楽室は2室あって、片方はかなり広かったです。
家庭科室はコンセントが上からぶら下がっています。訊けば「子どもがコンセントに引っ掛からないように」と。すごい!
コンピュータ室、テレビスタジオ?(中を見ていないのでわからないですが)もありました。トイレももちろん洋式。
古い学校でも改装したらここまで新しい設備をいろいろ入れることも可能なのですね。

高輪台小学校は耐震の面でちょっと不安があったので、教室の廊下側の壁に制震壁というのを入れていて、そのために明石や他の復興小にある廊下側の壁の窓がなかったのですが、それでも充分教室が明るいのは、やはり外側にたっぷり取った窓のせいでしょう。廊下側の窓がなくなったことで、掲示スペースも充分とられていたので、これはこれで使いやすいのだろうと想像しました。


廊下から見た教室。コルクの掲示板には今は春休みなのでなにも貼っていない
教室内にも同じく掲示スペースが。


階段は色分けされていて、階段の数もやはり多かったです。避難の時に安心ですね。
明石はオーソドックスなコの字型ですが、高輪台小は明石より10年近く後に出来た(復興事業より後なので改築小学校といわれます)ので少し新たな試みをしています。T字型なのです。これは面白い。
低学年の児童と、高学年の児童の遊ぶ校庭を分けたのか、男子と女子を分けたのか、どちらにせよ子どもたちが気兼ねなく遊べるような工夫でしょうか。ちなみに明石小学校の場合、休み時間の遊び場は、校庭と屋上で、低学年と高学年に分かれていました。

一階は低学年が使う教室で、ワークスペースを校庭側に設けて狭さを解消していました。雨も当たらないので雨の日のちょっとした遊び場にもなりそうです。


低学年の教室。校庭側にワークスペースがあり、ガラス張りで明るい。

完全に新しくしたのが講堂。これを体育館にして地下に埋めました。
「地下」というととても暗い印象ですが、実際見てみたらまるで地下とは思えない明るさ。
体育館の横に、自然光を採るためのエリアがあるのですがここを通して外が見えるし光が入るので地下という感じがしないのです。
ステージは可動式で、スポーツの試合などの時にはステージを収納し広々使えるようになっています。こんな立派な体育館があれば、子どもたちも思いっきり運動できそうです。


ステージ側から入口方面の写真。ガラス張りの向こうは地下とは思えない

高輪台小の先生は、「この学校は、明るい。そこが私の一番気に入っているところです」とおっしゃっていました。その明るさは、まさに改築小学校の計算された採光によるものです。校長先生も「不便なところもあるけれど、みんなの希望で残った学校ですから。これからも大切に使います」とおっしゃっていました。
この先人の優れた設計を生かして、内部を今の教育環境にフィットさせた高輪台小学校こそ、最新の学校というものなのかもなぁと思いました。

「危機的文化財現地ツアー」参加レポート
2010年3月6日、景観と住環境を考える全国ネットワーク主催による表題のバスツアーが開催されました。

このツアーのルートに明石小学校も入る!ということで、それほど文化財に造詣の深くないわたくしも参加して参りました。
東京に住んでいると、意外と東京名所を見落とすというか、当然のようにあるもので価値に気付かないというか、そういうものが沢山ありますね。
大学時代によく遊びに行っていた飯田橋駅のすぐ近くにある石垣や、外国人のお客様を連れていくと鉄板で喜ばれる浅草寺など、なじみのある場所も危機!
行ったことのなかった銅御殿周辺や小石川庭園なども危機!いろんな文化財の良さと今迫りつつある危機をあらためて知ることのできるツアーでした。
バスで後楽園周辺や秋葉原周辺などを巡っていると、工事中のビルの多さに驚きました。一体、東京はどうなってしまうんでしょう・・・。
書ききれませんので、ダイジェストになりますがすみません。

当日は残念ながら雨模様。
飯田橋駅向かいの牛込見附の大きな石垣前に集合。

ご存知でしたか?当たり前のようにある石垣ですが、飯田橋駅周辺の再開発に伴って、周囲を人工地盤で覆ってしまう計画があるそうです。 
    飯田橋駅から法政大学方面へ、外堀公園を歩きます。春は桜並木がきれいですが、実は写真右のマツのほうが古くから植わっていて、植物学としても価値があるそうです。 
ちなみに下を通るJRは、出来た時は甲武鉄道と呼ばれていて、景観を考えてお堀の上ではなく下に線路を作ったそうです。
いま外堀公園で桜並木を楽しめるのも、昔の人が景観を考えて作ってくれたおかげですね。
そして、公園の左側のビル群が再開発地域に指定されていて、超高層マンションが建つ予定です。景観の良さをウリにするのでしょうが、果たしてそのマンション自体は景観を考えられていると言えるのでしょうか?
    オシャレなカナルカフェで昼食。外堀が一望できます。
このカフェに隣接している(オーナーはカナルカフェと同じ)ボート場の歴史はとても古く、1918年創業。東京で一番最初に出来たボート場だそうです。

左側に見える高いビルは法政大学。
その法政大学の手前に、さらに高いビルが二棟建つ予定だそうです。
外堀に日が当たらなくなると、水中生物の生態系も変わります。カナルカフェオーナーの参加する「日本橋川・神田川に清流をよみがえらせる会」によって外堀に蛍が戻ったばかりなのに…
カナルカフェオーナー・羽生子さんのインタビューなどは、佐藤弘弥さまのサイトへ!
 
     わたしとしては、この銅(あかがね)御殿の内部に入れるというのが今回のメインイベント!
なぜ銅御殿といわれるかというと、屋根が銅で出来ているから(地震でつぶれないために瓦よりも軽い銅にしたそうです)。出来上がったばかりの時は文字通り輝いていたんでしょうね!

いたるところに使われた貴重な木(御蔵島のクワや、現在では伐っちゃダメな屋久島の屋久杉など!)、本当にこの家を建てるのに精魂こめたであろうと思われます。
そして私が大好きになっちゃったのは硝子戸のガラスです。これはベルギー製の手作りだそうで、今のガラスのようにただ向こう側が透けて見えるのではなく、少し揺らいで見えるのです。透明度は高いのですが、このゆがみが何だか窓の外のお庭を一層幻想的に、魅力的にします。
梅が美しかったですが、このガラス越しに紅葉の時期も見てみたい!
    おっと、銅御殿の美しさばかりに気を取られていたのでは今回のツアーの意味がありません。見て下さい。軒先に出るとこんな間近で工事が!
あまりの近さに呆然としました。
かなり大きなマンションが建ってしまうそうで、この工事の振動のせいか、堅牢を誇る銅御殿の壁にひびが入ってしまいました。自然界ではありえない振動ですから無理もありません。
今後、このマンションが完成したら銅御殿のお庭の景観が変わるだけではなく、風害(ビル風で銅御殿の屋根の銅がはがれるかも)や、お庭の草木の日あたりも心配ですね。ちなみに、どんなマンションが建ってしまうのかなどは、湯立坂さんぽブログさまが詳しいです。署名簿もありますので、興味のある方は是非。 
    五重塔の後ろ側に浅草ビューホテルが見えますが、これよりもさらに大きな高層ビルと、五重塔の横に楽天ビルが建つ予定。 

よく、エジプト・ギザのピラミッドを撮ろうとしたら後ろに高層ビル群が見えてガッカリ、という日本人の話を聞きますが、
外国人にしてみれば、「浅草寺の五重塔を写真に撮ろうと思ったら後ろに高層ビルが見えてガッカリ」ということになるでしょう。それで良いのか、日本?!
浅草寺は周囲の土地を買って、公園を作るなどの防御策を考えていらっしゃるそうです。結局は自己防衛が一番確実です。
    そして明石小学校へ。
ツアーの方々のほとんどの方がはじめて御覧になったと思いますが、どんな感想をお持ちになったでしょうか。
多くの方が署名に参加して下さいましたのは、きっとこの建物について理解して下さり、そして価値ある建物であると納得して下さったのであろうと思っています。ありがとうございます。 
     プールのあった場所は、今ではこのように囲まれて、工事が着々と進んでいます。

この場所にプレハブ校舎が建つとしたら、上にある銅御殿のように、工事現場とかなり接近した場所であることがわかります。

これは父兄の方でなくても心配になる距離の近さですね。振動、粉じん、騒音、いろいろ不安になるのも無理はありません。
    最後は新丸ビルの7階へ。ここからは丸の内周辺が一望できます。
再開発で工事が進む東京駅周辺。

前を残して切り取ら れてしまった、「トキの焼き鳥」中央郵便局も、古い建築の皮一枚残して上にボンっとビルを乗っけた東京銀行協会ビルも、この近く。
残すって難しい。こんなかたちでも残ったことを喜ぶべきなのか、それとも、こんなことになるくらいなら、もう記憶の中だけに留めておくほうがいいのか・・・



講演会レポート
藤岡保洋先生による講演会レポート
2010年1月16日、藤岡保洋先生による復興小学校講演会が深川モダン館にて開催されました。

復興小学校というと、聞き慣れない言葉ではあるものの、そもそも小学校という身近な建物の話なので、建築家の方々だけではなく、卒業生や地域住民など、建築を知らない人たちにとっても大変興味深く聞くことのできる講演でした。

そもそも震災によってすべてが壊滅した帝都を「復旧」するのではなく「復興」しようというプロジェクトの一環として、小学校をすべて鉄筋コンクリート造にしたのだそうです。
その小学校というのが「復興小学校」と呼ばれるもので、当時の東京市がすべて設計をし、区が建設するという形をとりました。
よって規格はすべて決まっていたものの、その規格の中でも可能なデザインに趣向を凝らした跡が見られます。
とはいえ復興小学校の基本姿勢は、
「第一には校舎竝(ならび)にその内外の設備について、
何よりもその使途の点に重点を置き、
苟(いや)しくも、外形から出発することを避ける」

(建築学会パンフレット「東京市の小学校建築」
というものです。

これを忠実に守るべく、太陽光を充分取り入れるための窓の面積、
早く避難できるようにするための階段の造りや配置、
換気のための窓の造りと天井高などの規格が決まっていきました。
驚くのは、黒板に太陽光が当たり、反射して見えないことがないかどうかまで
緻密に計算していたのです。

尤も当時は結核が流行していたので、太陽光や換気が今以上に重要だったし
今では照明器具が発達しているし、換気も窓を開けずにできたりするのかもしれません。
しかし太陽のあたる時間の半分以上を校舎で過ごす児童にとって、
どちらのほうが健康的であるか…自明なことと思います。

今と当時では、もちろん時代が違いますが、では現代の小学校建築においては
いったい何に重点を置いているのでしょうか。
現代の優れた小学校というのは、いったいどのようなものなのでしょうか。

そのことを考えさせられるような講義でした。
西澤泰彦先生によるセミナーレポート
「近代建築の保存再生を考える」という西澤泰彦先生のセミナーに行って参りました。
セミナー開始時間が退社時間なので、30分遅刻してしまいました…。

西澤先生は、愛知県立旭丘高校の校舎保存のために
「旭丘高校校舎の再生を考える会」を設立なさって、保存再生運動をなさいました。
取り壊し問題は、裁判にまでもつれこみましたが、
名古屋地裁から取り壊しの仮処分申請を退ける決定がなされました。
しかしその末尾には
仮処分申請を退けることが愛知県に対して校舎取り壊しの適法性と
相当性を与えるものではなく
、また、愛知県が文化財としての価値
考慮せずに取り壊しを行うことについて苦言を呈する、付言がありました。

どういうことかというと、裁判所は「文化財破壊による基本的人権の尊重の侵害は
判例がないから裁けない=逆にいえば、判例がないだけで、壊すのが正しいというわけではない」と言っているのです。
さらに、未登記だったので文化財登録をすることができなかった同校舎を
「文化財」と裁判所が明言しています。
このことからも、「本当は壊すなと言いたい」というのが仄見えます。

名古屋の場合は政治的な問題もとても大きかったようですし、
出世や名誉のために建て替えたい人もいらっしゃったようです。
名門校ならではの問題…だと思いたいのですが。

さて、西澤先生の具体的な運動は「消された校舎」を読んで知っていました。
いよいよ壊されるというカウントダウンの時に「座り込み」をなさったのです。
こういうのを本で読んでいたので、
西澤先生という方はものすごい剛の者というイメージで、
なんだかちょっと怖いくらいな方を想像していました。

ところが、お話を聞くと、全くそういうイメージではなかったです。

座り込みとか人間の鎖とか聞くと、ああ、そこまでやっちゃうんだと、
主張は理にかなってたとしても結構引きますし、
それで涙なんて流したり、子連れだったりした日には「お涙頂戴」で
みんなの気を引こうとしている、って思って、ちょっと反感さえ覚えそうです。

西澤先生が面白い(失礼ですが)のは、全く悲壮感を感じないところです。
「座り込みって座ってるだけで暇だから、毎日落ち葉の掃除をしてた」とか
「一緒に座り込んだおばちゃんたちに
『先生、私大学出たことないから大学憧れなの。ここで講義してよ!』
と言われて、青空授業をした」とか、
のどかというかなんというか、先生自体、なんだか楽しんでいらっしゃったのでは?という感じです。

太宰治の作品で「微笑もて正義を為せ!」という言葉があります(「正義と微笑」)。
正義、というのは語弊があるのかもしれません。
でも、自分が正しい、と思うことを貫くことを正義というならば、きっとこういう姿勢をいうのかもしれない、と思いました。

先生はこの旭丘の校舎の後でもいろんな建物の保存に携わっていらっしゃいます。
転んでもただでは起きない、というとこれまた失礼かもしれませんが、
そのあとも建築物の保存再生のために、いろんな新しいアイディアを実行なさっています。

「建造物の評価と保存活用ガイドライン」を作られたのもその一環です。
これは建造物の価値の明確化を図るものです。価値がはっきりわかれば、保存することも容易になるとのお考えです。

「悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。」
これも太宰の言葉(「おさん」より)ですが、私もそうです。
先程「引く」と書きましたが、あまりに必死なのは、ご当人も大変でしょうが、こちらも見ていて不安になります。
それが「引く」というのにつながると思います。
西澤先生には、こういった悲壮感がないから、きっと今の近代建築物保存再生の問題を
少しづつ改善してくださるだろうと思います。

先生は保存再生の問題を取り扱う際に重要なことを教えてくださいました。

「こういうことは賛成派、反対派というように分かれて、勝ち負けのようになってしまう。
実はそうではない。より良くしようという知恵の出し合いであるべき」
「ただの行政への反発ととらえられる危険性」
建造物の価値の説明は、専門家ではない市民には理解されづらい
建て替えたほうが綺麗になる、よくなる、という誤解がある」
こういったことで、合意形成が難しい、ということです。
本当におっしゃる通りと思います。
これをいかにただの反発ではなく、負かしたいというのでもなく、
建築物の重要性について理解をしてもらうか…
これからの私たちの活動の課題も、このあたりにあるのだと思います。
南氏によるセミナーレポート
保存再生セミナー、レポート第二弾です。

西澤先生のあとの第二部は、港区立高輪台小学校のリノベーションを手掛けられた
石本建築事務所の南知之氏がお話し下さりました。

南氏は、かつてミラノでお仕事をなさったときに
ミラノの大学の建築を手掛けられたそうですが、その時に、
「ここは遺してほしい」という場所がかなりあって、イタリアの意識では
「街の景観が極力変わらない建築」が当然とされているというお話が興味深かったです。
街の景観というのは、街の歴史であるから、そう簡単に壊したり変えたりしない、というのが普通だそうです。
別に、何の変哲もない、とるに足らない建物であっても、壊す必要がないなら壊さないのだそうです。

すなわち、保存というより、持続。今の景観を持続させるために、
必要なら補修も、リノベーションもするのです。
それは、歴史を持続させることにつながります。

さすがヨーロッパです。
そのあたりは、地震だの戦争だのでほとんどの建物がなくなった歴史があったり
そもそも木造文化で火事になったら全部なくなってしまう日本とは
カナリ考え方が違うんだなぁと思いました。
日本もそろそろ、スクラップアンドビルドのような時代は過ぎていると思うのですが…

さて、高輪台小学校ですが、これは復興小学校の後に出来た「改築小学校」と言われる建物です。
とても素敵な、ちょっと変わった造りです。
高輪台小学校はまず「遺すこと」が大前提でした。
そして、いくつかの提案の中から南氏の所属する
石本建築事務所の企画が通ったという流れだと思います。

リノベーションにあたって南氏が留意した点は

1 こんにちの教育プログラムに合うように改装する
2 校歌にある「白き姿」という外壁の白さを取り戻す
3 先人の技術に倣い、使える部分を大いに利用する


…ということでした。

まず1は、具体的には低学年のワークスペースを作るために、サンルーム風に外側に教室を広げました。
復興小学校と同じく、改築小学校も、やはりむかしの規格どおりの教室の大きさですが、今の教育プログラムには小さすぎる、という問題を解消することができました。
次に2は、そのまま、外壁を白く、竣工当時の姿を再生しました。
「保存」だけではなく「再生」と「持続」のためです。
また、たび重なる改修の時に少しづつ変えられた部分(時計の位置や、ガラスのカーテンウォール)も、竣工当時の姿に再生したそうです。
最後に3は、竣工当時、「風の道」というのが考慮された設計になっていたそうですが、これを元通り使うことにしました。
校舎のいたるところに風が通り抜けるための通気口が空けてあったのだそうですが、ある時から塞がれてしまっていたそうです。
しかし、換気のためにこの風の道はとてもよく出来ているので、もう一度使うことにしました。

このように、古い状態をがむしゃらに保存するわけではなく、
現代では不便と思われるところに手を加え、また昔のほうが良かったところは元に戻し、
そして、極力外観は竣工当時のように保つことは可能なのです。

現在、高輪台小学校は、入学希望者が後を絶たず、満員の状態だそうです。
歴史と新しさを併せ持つ学校、素敵ですよね。

改めて、リノベーションという保存再生の道があることを、もっと多くの人に知ってもらいたいと思いました。

レポート